暴走する支援①
- 吉岡 俊史

- 2 時間前
- 読了時間: 3分
やや刺激的なテーマで失礼いたします。
支援というものには、定義、範囲、限度、枠などをつけにくいものです。
目の前の方には、どこまでの支援があると良いのだろうか?
本人の希望は・・支援者の想いは・・なども考えると、支援には「終わり」という場所が定まっていないとつくづく感じます。
「いつまで何ができたら終わるのか?」がわからないのが支援です。
これは支援する側の悩みにとどまりません。支援を受ける本人も困ってしまうこともあるのかもしれないと思います。「どこまでお願いしたらよいか」「ここまで頼んで良いか」に迷いながら支援を受けて下さる方から「今やってくれていることはお仕事としてですか?ボランティアですか?」と聞かれたことがありますし、同じ経験をお持ちの支援者もいらっしゃるかもしれません。
例えば私の場合、支援をさせていただく方から、「どこまで・・?」と聞かれたときに「大丈夫ですー」と、あいまいに返事をした経験がありました。
しかし、後から考えると、大丈夫かどうかは支援者ではなく、どこまでなのかわからない本人だったのではないだろうか?と思うのです。
福祉が先進する外国では、それぞれのソーシャルワーカーの役割がもっと明確ですので、支援にも普通に線が引かれている場所も多いです。また、支援の枠や線の外の部分はボランティアの文化が広がっていますので、利用する側もわかりやすかったりします。
日本は、そこまで本人も支援者も文化が整っていず、行政頼みでもあり、支援の範囲に困ることがあるのです。
仮に無理やり線を引くとすると、一つの考え方として「施設の中か外か」という区別はつけられるのかもしれません。
しかし、社会で働いてゆくことを支援させていただいている就労移行支援事業所ユースターや、社会の中での活動支援をさせていただく行動援護事業所ユータイムでは、支援は必ずしも施設内ということだけではありませんし、ユースターの場合は、就職している方もいらっしゃるため、支援時間もさまざまになり、時間の枠を決めることも至難の業です。
そこでどうしても支援スタッフの裁量や個々の判断で支援をせざる得なくなることがあります。
ユースターやユータイムは、支援の枠を個人の裁量で行うことを決して是とはしていません。
その理由は、裁量としたとたんに支援が「暴走」する危険性があるからです。
危険性と書かせていただいた理由は、利用者の方と支援スタッフの両方に危険が生じる可能性があるからです。
例えば、A支援スタッフはここまでしてくれた、Bスタッフはここまでしか、やってくれない。だからAの方が良い。という見方がされがちですが、それは、本当に将来や社会の中で、現実的かつ持続的なのか?生活全体を考えた支援なのか?支援スタッフはどの位置付け(福祉サービス、ボランティア)で支援をしているのか?がわからないからです。
ボランティアとサービスの線引きも必要になります。
日夜支援をしてくれるAスタッフがいたとしたら、そのAスタッフは一生その時間で支援を続けられるものではありません、引き継がれるのか、連携されるのかなど調和のある支援としては疑問が残ります。
暴走支援に頼ることなく利用される方の支援に努めたいと思います。
(=つづく)





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