不易流行~支援は変わる?~②
- 吉岡 俊史

- 2 日前
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不易流行(ふえきりゅうこう)・・時代が変わっても変わらない根本に、その時代を知ってそこに合わせて変えてゆくことが加わることも必要。つまり両方が共存することの意味を説いている言葉です。
前のブログ①で書かせていただきました通り、不易なものが、流行に完全にとって代わられた、消滅させられた、というわけではなく、共存しながら本当にニーズのあるものは残り続けているのだと思います。
変化の激しい毎日の生活や仕事に追われる中、自分の知っている範囲の世界や考え方に固執せず、新しいことやモノを否定せず、さらに今まで生きてきた人生で得た経験や知識に、今自分のいる場面に合うモノを積極的に加えられるしなやかさが必要だと思います。
そして、支援についても、変わらないものの中に新しいものを取り入れてゆくべきです。
就労支援を例にしますと、就労支援のルーツは戦争の退役軍人に身体の一部の機能を失った人が多くいらっしゃり、その方々が働けるように訓練をしたことに始まるとも言われています。
その後、障がい者に仕事を教え込むこと「しどう(指導)」すること=支援に変わってきた経緯がありました。
できない、わからないから教える・・という考え方でありました。
もちろん今の時代はその考えは変わり、「教えて訓練する」というスタンスではなく、「サポート」することに変わっています。就労支援の意義や価値は変わっているのです。
就労は自己選択をする場面が多いです。
働くか働かないかも自分で決められ、権利はあっても強制されるものではありません。
職業選択も、勤務条件も自己選択できます。またその自己選択する権利は、働き始めた後もずっと続きます。
それだけに、支援も時代に沿った考え方、価値観を反映しなければならないと思います。
そこで支援をする立場の者として支援スタッフが進化しないと、いつの間にか、その支援は不要なものになると思うのです。
制度も同様です、障がいのある方、働くことにサポートを求める方に「働くべき」という前提の仕組みが残っていると、当事者の方と関わる支援スタッフも「〇〇ができないのでできるようにする」とか「この仕事をするべき」という誤った支援にもなりかねないと思うのです。
主観ではありますが、就労支援以外の福祉支援に関しても、まだどこかに、大昔からあったハンディのある方に、本人が選択していないにも関わらず、教えたり、指導する、ということを主眼とした支援や価値観が散見されるような気がするのです。
ハンディがあるからといって、本人の意志を無視して教え込んだり、チャンスを与えなかったり、選択肢を無くしたり・・このような支援はむしろ「不易」として残すべきものでもないと思います。そのような部分についてはむしろ「流行」に学ぶべき部分なのかもしれません。





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