記憶は、形を変えて働きだす②
- 吉岡 俊史

- 3 日前
- 読了時間: 3分
忘れたこと、未知のことを「調べる」時代から「検索」する、という言葉に代わったようにすら感じる今ですが、便利すぎることの弊害もあるのだと思います。
その「弊害」とは、例えば、前のブログに書かせていただいたとおり、「検索」をして、すぐに答えにゆきつくことで、忘れて困ったり、恥をかく経験も減り、覚えておかなければならない意識が無くなる可能性です。
それが、なぜ弊害なのか?・・といいますと、覚えたことや記憶した動作は、生活の別の場面で姿を変えて、思いがけず役に立つことがあるからです。
例えば、日常の中で、記憶しておく習慣や動作が身についていると、自然に目の前のことに集中したり、注意深く見ることになります。
それこそが、就職して働く上で必要になる「集中力」であったり「注意力」につながり、仕事の精度、習得力などにつながってくると思うのです。
ここで申し上げたかったのは、記憶したことは、どこかで形を変えて、自分の就労能力に活かされる、働く力として発揮されるものだということです。
障がいなどで、働く方をサポートしている就労移行支援事業所ユースターの支援スタッフとして、今まで働く方の現場に立ち会って参りました。
その中で「働く力とは何か?」ということを考え続けていますが、働く力となることの一つに「経験すること」があるのだと思います。
それも「同じこと」を経験しておくということだけではなく、「類似すること」や「全く違うこと」であっても良いのです。
『経験をして身体や頭が自然に記憶したことが、別の場面で応用されて力として発揮されることがあるのです』
例えば、お掃除のゴムの手袋・・・
ある方が掃除のお仕事に就きました・・清掃の際に手にはめるゴムの手袋があります。
ゴムの手袋は手が濡れているとはめにくい・・ということを経験から覚えている場合と忘れている場合、全く経験していない場合で、お掃除をする発揮具合や、本人の働きやすさに違いが出てきます。
一度経験したら二度目からは手を乾かして使うだろうーと思っていると、そうでもないようなのです。
覚えておく習慣や動機が全くない場合には、毎回苦労をして、濡れた手で手袋をはめることになってしまうのです。
そんなことかーーと思われるかもしれませんが、意識を向けて覚えるということは、どこかで次に活かせる力になるのです。
そして、就労につなげて考えると、記憶したことは、さまざまな働く場面で、ふたたび発揮されることがあるということなのです。
理屈はわかりませんが、記憶した知識をもとにして、他の事柄も想像しやすくなる、ということもあるのかもしれません。





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