家族はどこまでサポート②
- 吉岡 俊史

- 2 時間前
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障がいや高齢の方と家族のサポートの現状や課題について書かせていただいています。
元々日本人には「家族の自己責任論」が深く根付いていましたので、文化的・歴史的背景からつながって、現在でも家族単位で生活を支えることになっているのだとは思います。
そして、家族がもっとも本人を支えるべき、という価値観は、障がいのある家族に限ったことではないのです。
例えば、防災の分野では、「自助・共助・公助」と言われたりします。災害が生じた際にそれぞれの立場でやることがあるという概念です。
その中で「自助」に着目してみますと、日本では、自助には、自分で自分を助ける、という狭い範囲ではなく、家族で助け合うことも自助に含まれるのだそうです。
自分で自分の身を守るというのは納得できますし、家族で支え合うのはあたりまえなのかもしれませんが、一心同体で、同じ立場に家族がいて、同じ責任を持つ、とまで言われると疑問が残ります。
家族で助け合うという、当たり前に便乗して、しくみや価値観まで決めつけるのはいかがなものかと思いますし、ましてや「家族も自分について、自分と同じ責任を背負っている」ことがあたりまえであってはならないと思います。
海外の家族と自分の捉えを見てみますと、もちろん全ての国ではありませんが、日本と違う捉え方がそこにはあります。
それは、例えば英語では、自助は”self-reliance”とか”self-help”とかに訳されるのかと思いますが、そこに出てくる”self”は「自分だけ」であって、「家族」ではありません。
家族も入れるのであれば"Myself and my family"(私と私の家族)と言わなければ相手には意図が届かないのだと思います。
”self”が自分だけだからといって、外国の家族は愛情は薄いということではないのです。
日本にもどると、家族は間違いなく身近の存在ですが、そこには愛情はあれど、責任というものまでが便乗して、本人と「共同責任」「集団責任」であるかのように捉えられている点は、少し残念にも感じます。
障がいのある方の家族に限ったことではない例として、何かの事件の被害者や加害者、また良いことも悪いことも、何かというと家族のコメントが掲載されたりします。
先日はあるニュースで60才の子が関わった事件に90才の親の見解が載っていました。。。
障がいについて目を向けますと、誰もが「障がい、介護などを受ける方の家族」という立場になり得るかもしれません。いつまでも・・何歳になっても・・「家族」は、本人を経済的にも身辺的にも支援する責任を持ちつづけることを前提とした社会システムや価値観、生活のあり方を何とか進化させれらないものかと思います。
最近は「本人を支える家族への支援」の必要性について、法律でも言及され始めている点は良いと思うのですが、良く考えると「家族への支援」が議論されるということは、家族が最も支援をするべき立場にいる、という前提や固定観念そのものは変わらないのか、とも思ってしまいます。根本的には変えてゆく考えはないということでもあるように思えてしまいます。
社会全体が支援をしつつ、その一つとして家族や身内がいると考えたいものです。日本式の家族の形には良い部分もたくさんありますから、全てを否定できません。しかし、本質を見つめなおす意味はあるのだとは思います。






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