支援者という人②
- 吉岡 俊史
- 3 日前
- 読了時間: 3分
支援者はなぜその職業を選択したのか・・、その理由はさまざまだと思います。しかし前のブログの通り「やりがいを感じる」というのは、理由の一つに当てはまるかもしれません。
このように、やりがいや、難しさを感じながら目の前の方と接する支援者の日々なのです。
そこで、もっと日常的なこととして、支援者が、ユースターを利用する方・支援の対象となる方と、人が人に接する場面で交わされる言葉のやりとりや会話を今日のテーマにしたいと思います。
「人が人に・・」とこだわって表現しました理由は、支援者も色々な感情を持ちながらも、それを見せずに会話をしたり、あえて意図的な感情表現をしたりする場合もあるからです。
そこで今日は、支援者が接する相手の方への話しかけ、会話について、率直なことを書かせていただきます。
就労移行支援事業所ユースターの支援スタッフは、成人の方へ就職をして社会に出て活躍することを支援しています。
ということは、社会では〇〇が必要、△△をすると働きやすい、などとお話しする場面もあります。
他の方から見ると、その場面では、就労支援は、支援スタッフがユースターを利用される方に向けて、就職について色々なことを「アドバイス」していると映るかもしれません。
確かに、実際にアドバイスとも捉えられる時もあります。
しかし、私は、支援スタッフ”は教えよう”としているのとは少し違うと思っています。
私がユースターの仲間の支援スタッフと共有していることは、つい教えたくなっても、支援は教えるということとは本質が違うという点です。
支援と教示は何が違うのかは実際にはわかりにくいですし、利用される方も「教えてもらう」ことを期待している空気を強く感じることもあります。
また、支援の一環で、具体的なことを「アドバイス」することは実際にあります。
それでも、教えることとは本質的に違うものとしての支援をする際、他の人へのアドバイスのしかたの難しさを実感します。
まず、支援者は相手の方の何かを「決める人」ではないということが根本にあります。
なぜなら、アドバイスを受ける側の利用者の方の感情が、支援スタッフの一言で動くことがあるからです。
アドバイスはとても繊細なもので、受ける側の人が、ある程度自分の思惑通りのアドバイスであれば納得しやすいのです。
しかし反対に、自分の希望や想定していたストーリー通りのアドバイスでは無い場合や、自分の考えを否定されたと感じたとき、心に蓋をしてしまうことにもなるのです。
アドバイスをする人は、人間についての洞察力を持って、相手の様子や今の感情を見ながら、いつ言うのか、何を言うのか、どのように伝えるのかをしっかりと考えてゆかなければならないのです。
このように、時にはジレンマや矛盾にも近いことを感じながら、目の前の方の意志や主体性、希望や独自の価値観を最大限尊重したいと思って会話をしています。
利用者の方と心を通わせられる時、支援者としてのやりがいを感じます。

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