アレルギー反応
- 吉岡 俊史

- 2 日前
- 読了時間: 3分
自分の住んでいる北海道では、花粉の飛散は本州に比べて比較的少ないようですが、それでも春先はシラカンバ(白樺)、ハンノキなどを「異物」と認識した私の身体は、一生懸命に抗体をためて、免疫を働かせてくれて(?)います。
その免疫が働きすぎると花粉症、つまりアレルギー反応という悩ましいものになるのですが、そう考えると、アレルギー反応があるのは身体の免疫機能が働いているからこそ起こる・・と考えられ「自分の身体の機能が働いている」とも言えるのかもしれません(??)。
しかし、実際にアレルギー反応に悩む私たちは、そのようにアレルギー反応をポジティブには到底受けとめられません。
私たちは、アレルギーという言葉を、自分にとって好ましくないものを表現するときに使用することがあります。
花粉症になりかかっている私💦は、この「アレルギー」や「アレルギー反応」という言葉について、病気ではなく、日常生活の中で、私達がイメージで使っている「アレルギー」という表現について考えてみました。
そもそもアレルギー反応は、いわゆる(免疫の)「行き過ぎ」な状態で、本来、身体にとって必要な免疫機能の先にあるものですから、私たちが日常的に使用する「〇〇(人や物事)にはアレルギーがある」という言葉は、単に「自分に合わない」とか「嫌い」という言葉の単純な”置換え”ではないように思います。
嫌い、避けたい、生理的に合わないなどの気持ちは、誰でも何かに対して持つことはあると思います。
たとえば職場で言えば、一緒に働く「人」に対しても持つことがあるかもしれません。
今までの理屈を適用すれば、その嫌悪的な感情は「アレルギー」とはいえない・・ということになります。なぜなら「免疫を作る」という段階を経ていないからです。
楽観かもしれませんが、もし仮に、同じ場所で働く「人」に対して、嫌な感情を持ってしまうとしたら、まず免疫が作れれば良いなあーとも思います。
就労移行支援事業所ユースターから就職して働く方からも、職場にいる人に関する悩みや困惑の相談がありますが、まずは相手の立場や思いを想像して、免疫を作る段階から始めてゆくこともありかもしれません。それが行き過ぎたとき、つまり「アレルギー反応」を感じる時には当然にすぐ対処する必要はあるのだと思います。
花粉症のようなアレルギー反応と人間関係は単純に結び付けられませんが、自分の身体が異物(外敵)に対して、まずは免疫を作ろうと頑張り、その先にアレルギー反応があることに、改めて人間の身体はすごいし、謙虚とさえ思ってしまいます。





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