ひとりになる将来のこと②
- 吉岡 俊史

- 11 分前
- 読了時間: 3分
親や親族が「亡きあと」ではなく、「健在か否か」で不安や安心を語るのではなく、たとえ親が健在であったとしても、ひとりで生きて働いてゆく将来の備えをどのようしたら良いかを考えています。
親の亡きあとの不安はもちろんですが、親がいる間も安心というわけではないので、ひとりになる将来全般に渡って、一つづつ具体的に動いてゆけると良いと思います。
まず一つ目は「タイミング」です。
一つ前のブログで挙げました、就労移行支援事業所ユースターを利用されて就職した方の例のように、就職をして、仕事が落ち着いた次に考えたことは「一人暮らし」でした。
一人暮らしに関心を持ち始めた時、「まだ先のこと」として先延ばしにすることで、その「先」が、永遠の「先」にならないようにしなければなりません。
今から考える、”ひとりになった将来のこと”・・・
一つ前のブログで述べましたように、むしろ、仕事を始めることと暮らしをセットで考えることも一つの有力なタイミングかと思います。
そして、自分が働くことを毎日頑張る一方で、例えば親の加齢や家族の変化は進み、親や家族が本人に求めることも、毎日どんどん変化・増加し続けていることにも本人が気づけるようにしないといけないです。
そこで、あくまで本人の状態や事情にもよりますが、親も本人も、「これは親の仕事」と思っていた生活の一部分を、ある日を境に親は「できなくなった」⇒本人に引き継ぐ、という「儀式」も必要だと思います。
なぜなら、そのような現実の状態も本人は見るべきですし、その数は増えてゆくことを受け止められると良いと思うからです。
また「誰かに託そう、社会に託すしかない」と思っていた生活に関連する事務も、実は本人に託せるかもしれないこともあるのです。
親ができることが少なくなっている、そういった現実を、本人も見てわかること、それによって自分がやるのか誰がやるのかを本人も一緒に考えることが必要だと思います。
一方で、社会に託すことについては、更に大きな問題があります。それは、家族全体の自立生活の力の変化に合わせて、寄り添い続ける福祉サービス、つまり親子両方に支援をし続ける社会の制度はありそうでいていま一つわかりくく、更に個々に分離されている印象があるからです。
例えば、福祉や社会保障制度となると、どうしても・・・
「成年後見制度」「グループホーム」「年金」「相談」そして「遺言」といった言葉が並びます。
これらの成年後見制度、グループホーム・・・等だけで親の安心や納得感が満たされるのか、といいますとそうではありません。
なぜ安心とならないのかを考えてみますと、例えば、それぞれのサービスが目的毎に分離されていること、それぞれが狭い範囲の目的しか網羅していないこと、分離された全てを使ったとしても「一人の人生」はカバーされないこと、手続きや基準がそれぞれのサービスで全く違うこと、それぞれのサービスのつながりを支える機能が薄いこと・・・なのです。
最後に述べました「つながりを支える機能」については、色々な相談支援を担ったり、コーディネートする機関は増えましたが、まだ親から見た、本人の心配な部分が完全に保護されるイメージまでにやゆかないのだと思います。
本人の不安は親の不安、親の不安は本人の不安でもあります。少なくとも、何をどのように準備をしたら良いか、今度こそ、障がいのある方の人生全体のコーディネートが求められると思います。
そして、私達支援者も、本人が一人になった将来のことを考えることを、決して親だけに任せず、なるべく先送りせず、支援者も本人を「おひとりさま」を前提に捉えてゆくことかと思っています。
同時に、障がいのある方本人と家族を包括的に支援するしくみが更に充実してくることを期待したいです。






コメント