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- 似合う色
就労移行支援事業所ユースターには、アピアランス(見た目)についての講座もあります。就職に向けて準備するユースターの皆さんは、社会で活動するための準備もすることになります。そこでアピアランスの一つとなる服装の色とコーディネートについて取り上げています。 仕事をしたり、社会で活動するということは、人と話したり他人と一緒に過ごすことですから、自分が人に見られることにもなります。 そこで・・自分が他の人にどのように見えているか、どのような印象を与えているかに関心を持ち、できる範囲で気を配れるに越したことはありません。 就労移行支援事業所ユースターでは、服装やコーディネートの正解を提示して、その通りにすること・・模範や正解を真似する”教え”ではなく、楽しく自分をコーディネートして、自分の個性に気づき”自己肯定感”を生み出すことを目指します。 例えば、自分に似合う色は何かを見つけるために、それぞれの色を顔の近くに置いて、鏡で顔が明るく見える方が似合う色、というざっくりした方法があるそうです。その色はブルー系なのかイエロー系なのかだけでもわかると、今後は深い色か明るい色かを選ぶと機械的、マニュアル的に似合う色探しを進めることができます。 色のコーディネートの理屈だけを学んでもうまくできないと思います。そうなると楽しいどころか自信を失ったり、苦手感が増してしまうことになります。そのため、とっておきの時だけではなく、日常的に自分を鏡で見て顔色を見るだけでも試していただければと思います。 自分の顔色を鏡で見るときに自分の表情と向き合いますし、似合う色を選ぶ行程を楽しくできれば、男性はネクタイ、女性はトップスを選んだり、アクセサリーを選んだり、と少しづつ楽しい時間にしながら、もっと自分を意識できるようになればと思うのです。 似合う色を身に着けるメリットは、自分の印象を良くするだけではなく、顔色や目の輝き、肌も変え、自分を健康的に見せる効果があるので、例えば就職面接を控えたユースターを利用される方に、面接練習や履歴書といった硬い内容と合わせてできれば良いと思っています。 そして、自分をコーディネートすることと並行で『自分が、いま居る場所やいまの状況・場面に合わせた身なり、所作とは何か?』を考えるきっかけにもしたいと思います。 誰かと一緒にいるとき、相手に良い印象を与えること、TPOに合っていること。。。それほど大事ではない、それに気をつける意味がわからない・・ということではなく、人に見られることがあるのが社会ですから、自分ができることで自分をアピールすれば良いと思います。さらに、外見だけではなく、内面も含めたアピアランス・・つまり自分自身にも関心を持つきっかけにして欲しいと思うのです。 頑張って、我慢して、一生懸命に努力して社会についてゆくということは大事ながらも、とてもしんどいです。常にそれをすることだけが価値ではないということを知り、気楽に自分の色をさぐり、コーディネートして自分を良く見せることを楽しんで、自尊心を大事にすることにつながればと願っています。
- 「慣(な)れる」ことと「馴染(なじ)む」こと
以前に、帰属意識と所属意識について記事にさせていただきました。 今回は少し似ている言葉で「なれる」と「なじむ」ことについてお話させていただきます。 就職をすると初めて経験すること(場所や時間、人など)も多く、緊張でうまく話せなかったり、いつもできていたことができなくなったりと新しい環境に「慣(な)れる」まで人それぞれに大変な思いをすることがあります。 もちろん、緊張せずにイキイキと目標をもって前向きに進む人もいます。きっとそのような人は「慣(な)れる」時間や「馴染(なじ)む」時間が早く、上手く自分をコントロールできているんだろうなーと思います。 仕事に慣れる。職場に馴染む。勤務時間に慣れる。雰囲気に馴染む。など慣れると馴染むは何となく使い分けられそうですが、実のところどのような違いがあるのでしょうか?少し調べてみました💡 【意味】 慣れる:その状態に長く置かれたり、たびたび同じことを経験したりして違和感がなくなること。 馴染む:慣れて親しみを持つこと。しっくりくる。調和すること。 時間の経過とともに、同じ仕事や時間を重ねてたびたび経験することで、慣(な)れることは皆さん経験することかもしれません。 しかし、上記の意味のように慣れることの先に馴染むことがあるようですので、周りからみて仕事に慣れてきた、時間に慣れてきたと見えていたとしても、働いている本人としてはなんか違和感を感じたり、しっくりこない感じがあると、それは馴染めていないのかもしれません💦 仕事は慣れたのでできますが、馴染めない職場や環境で働くのはきついです💦 自分では、慣れたのか馴染んだのかは、わかりにくいかもしれませんが、少なくとも職場の中で、名前で呼んだり呼ばれたり、雑談したり、ちょっとした悩みを聞いたり話したりしているうちに少しずつ職場に馴染めるのかもしれません。 私たちユースターは、就職後のサポートとして、慣れるまでのサポートはもちろん、できる限りその方が職場に馴染めるようなサポートも目標にしたいと考えています。 そのためには働く本人の努力もありますが、周りの人や会社という組織の理解などが必要不可欠です。その人の「人と成り」を知っていただき、職場に馴染める日が早く訪れますことを心から応援しています。
- 親なきあとを考える⑥
親なきあとを考える⑥。最終回です。 私達の社会にすでに存在する福祉サービスや福祉システム、これは万能ではないことは既述の通りです。 その中で、どれかを当てはめてゆくことで本人の将来の生活を考えなければならないのが現実ですが、見方を変えて、社会にはさまざまな立場の方、例えば高齢者、経済的困窮者、外国籍の方など・・・が生活されています。そして、それぞれの立場の方に社会がサポートするサービスが存在します。 障がいがあるから福祉のサービスとつなげず、社会に存在するバラエティーに富んだそれらのサービスの組み合わせについても、親なきあとで使えるものを考えるべきかと思います。 そして、そのサービスも恒久的(ずっと)必要ではなく、その出来事があった時に一時的に使う、ということもあるかもしれません。 一時的な手配の例として、親が亡くなり、お葬式をどうするか?残された障がいのある本人だけになってしまう。。があります。このようなことまでが不安の一要素になりうるのです。 残された最後の一人の方が障がいのある方でなくても、高齢の方のようにご自分では葬儀の手配等は難しい、といった状況は世の中にたくさん発生しています。特に少人数化した家族構成の中では増えています。 そのため、社会には対応するサービスは有料無料含めていくつもあります。不安に感じることではないのです。 例としては、・死後事務委託契約(残された家族ではなく、契約をした人が自宅の清掃から、未払い公共料金の精算、ペット引き取り先の手配まで行うなど)、・遺言、・互助会等の利用・・・その他です。 一時的な手配についてはまさに、福祉分野ではないサービスも公民合わせて利用するべきです。 そして、残された本人の将来の人生についても同じような考え方はできないものかと思います。つまり、障がい福祉だけのサービスで考えず、本人を中心に、周囲の方の力で「カスタマイズ」して本人の人生を創造してゆく、という事です。 このテーマの①で自助、公助、共助をとりあげました、自助の次は公助、共助だけでなく、プライベートにつくってゆく”民助”とでもいう新しい自助の形もあるのかもしれないです。 障がいのある方のどなたにも言えることは、その方の障がいが重いとか軽いではなく、どの方も軽い部分と重い部分の両方持ち合わせている、ということです。 何にサポートが必要かを明確にしてゆくことが将来家族がいなくなった後に、生涯に渡って必要な遺言です。 「なんでもできる人だからたぶん大丈夫ですが、一応見ておいてください」と言われた人や支援者は何をしたら良いかわからないのです。 残された人に、漠然とした障がいの状態を伝えるよりも、何をしてくれるのかがあらかじめ伝わっていることが、本人にとっても助かることなのだと思います。 そして、本人が自分だけではなく、他の家族のことも担える力が発揮できる方は、むしろ本人が他の家族を支えられれば良いと思います。 親亡きあとはとても心配です。。。。簡単ではありません。 この「親なきあとを考える」を6回のシリーズでお伝えしました。大変読みにくい点が多くありましたことをお詫びします。お読みくださり、ありがとうございました。 「まとめ」にはなりませんが・・ 残される人、残して去る人、それぞれが本人を良く見て、考えてゆく、そして具体的に引き継ぐ、また社会に存在するしくみを効果的効率的に活用する、ということなのかもしれません。
- 親なきあとを考える⑤
「親なきあとを考える」で続けてきましたシリーズ⑤です。 本人の将来の親や家族のいない生活について(一般的に使われる言葉を使って言いますと)障がいが重い場合軽い場合・・・を書かせていただきます。 障がいが重いために、厚いサポートが必要か、そこまで必要ではないか・・を「誰が言っているか」によって、その方の障がいの状況とサポートの有り方がわかることがあります。 どういうことかと言いますと、日常の生活(入浴、食事など)に誰かのサポートが常に必要である場合、本人もそう思い、身近にいる方も一致していると、障がいの程度は比較的重いが、支援は統一感を持ち、関係者間でのサポートの方法に合意をとりやすくなります。 一方、本人障がいは極めて軽く、一人で大丈夫、とおっしゃるけれども、社会の道理に合う行動がとれず、何が良いのか判断も困難だが、一人で行動ができるがために、社会でトラブルに巻き込まれたり、暗黙の決まり事(”常識”と言われるもの)と自分の認識が合わず、社会生活がしにくくなったり・・そのような場合、本人にとっては、サポートは少なくて良いものの、周りの方にとっては、種類の違う厚いサポートが必要と感じる、という場合があります。その場合は、サポートの量や方法について、本人の合意がとりにくい場合もあります。 就労の場面でありうるのは、職場の暗黙のルールが理解できなかったり、社会人としての行動がとれずに、仕事の遂行や人間関係に支障をもたらすため、企業は「本人の理解度がわからず・・どう指導してもわかってもらえなくて」と言う場合もあるのです。 法律や医学的に設けられている障がいの基準は社会生活との間の障壁や、支援の量を考えたものではあるのですが、まだそれでも、その基準が実際に社会で生活したり、会社で働いてみると、そこに起こる困難の程度に合致していないことも起こっているのです。 家族は、本人の成長を継続的に見守っているので、本人は何にサポートが必要かを良くご存じです。 ある例を挙げます。。。 ○○さんは衣食住の生活(A)は成り立っても、一人では決して生活(B)はできない・・・ということがあります。 そこでいう生活(A)と生活(B)は種類も内容も全く異なるものです。 では生活(B)とは何か?を具体的に知ることが重要なのです。 すでに一人で社会で生活をしている方であっても、生活ができているとは限りません、生活(A)ができているだけで、生活(B)に大きな困りごとがあるかもしれず、本来はフルサポートが必要な方なのかもしれないからです。 社会や会社の組織内での他の人とのトラブル、社会との不整合があったとしても、本人は気づいている場合と気づいていない場合があります。家族は本人を良く知りますので「想像」はついていることが多いです。 それだけに、家族は「うまく生活(B)や就労はできているのだろうか?」と漠然とした不安を持ち続けてゆくことになります。 今は一人生活(A)ができているから、将来親なきあとも、生涯に渡って一人で大丈夫という単純なものではないことは、家族が感じることなのです。 そして、法律、医学的に障がいが軽いと言われてしまうがゆえに、家族の不安は複雑化してしまうのかもしれません。 結局は、親なきあとの問題や不安を全て解決する方法があるわけではありませんが、むしろ何が無いことによって、本人の周りの方は不安なのか、その方一人一人について深く悩んで・・考えて・・最良と思われる方法を決めてゆく、それしかないですし、それがベストであると思うのです。 それを全て親や家族が行うのは大変は負荷です。ですので、周りの人、支援者なども含めて親あるときからの行動です。 きれいごとではなく、家族、親、周りの方の想いが深く多いだけ、その方の生活(特に生活(B))が良いものになってゆくと考えるべきかと思います。 親なきあとの問題や不安を全て解決する唯一の方法が存在してしまうと、個性あるそれぞれの生き方を一つのパターンに当てはめてしまうことになりかねないです。 人生は・・生き方は・・夢や生き甲斐はそこまで単純ではないと思うべきなのだと感じます。
- 親なきあとを考える④
親なきあとのことをつれづれに書かせていただいています。 4回目は、そもそも家族といえども、本人のことはある程度しかわからない・・という前提で、その家族なき後を考えてみたいと思います。 まずは本人の自活の力ですが、生活するという大きな課題に対して、本人ができる程度や持つ能力は、身近な人でもわからないときがあります。なぜか・・一つには本人との距離が近すぎて客観評価できない、というのもありますが、もう一つに、本人がやっている場面、経験しているところを見ていないから、というのもあります。 一人でバスに乗れますか?という問いに対して、「やったことが無いのでわからないですが、やればできると思う」というのと「やったことが無いです、地図は見たことがありませんが、バス停の識別はできます。時計は読めますが逆算は難しいです。時刻表は見たことがありませんが、表や絵から目的のものを探すことは好きです。財布は自分で持ちあるいています。乗り物は好きです」では、後者の方が、自立へ道筋がつけやすくなります。 わかる前に身近な方が代行してしまうことで、本人の持っている力が隠れてしまうのもあります。家族としては、いつも、今の場面場面を無事に進めることを優先するので、つい代行するのは当然のことかと思います。そのことに対しては誰も異論を唱えられないと思います。せめて、本人が家族のやっていることを横から見て、興味や関心を持てるようになれば、見ているだけでも力が身につくということも期待できるのです。 他の人や社会に対して、本人はどの程度興味や関心を持っているかがわかると、自立生活の仕方のヒントになります。 それによって、家族なきあとに、本人が0から出発するのか、1からなのかの違いが出てくるのです。 就職も同様で、ユースターでは、人によってですが、就職前から他の人の就職活動を見ていただく、ということも大事な支援としています。 家族なきあとを考える際、将来を想像して不安を抱くのではなく、(ちょっとしたことですが)家族や親が健在でいるときから「なきもの」とした場合の本人を観察・見守ることができれば、本人の生活力が現実的なものとして見えやすくなるのではないでしょうか。。。 繰り返しですが、親がいない状態に近いように(生前逝去のようなイメージ?)しておくこと、そして、なによりも『本人を観察すること』で、本人が何に困るかを下調べしておきたいものです。 就労移行支援事業所ユースターでは、就職前後に一人生活を始めたり、グループホームに入居する、というご相談を多く受けます。 ユースターとしても家族から自立して生活することを推奨します。 個々に状況は異なりますが、漠然とした不安や不明点が、自立することで家族だけではなく、本人にとっても晴れることがあるからです。 完全に不安がなくなるわけではありませんが、本人なりの生活が始まると、そこで家族との距離ができ、お互いに支えやすくなる場合もあるからです。 このシリーズで何度かお伝えしているように、「家族は本人の代行をやりすぎない、本人は家族に頼りすぎない」ということを示唆的に言っていても突破できませんので、何よりリアルな環境、状況を設定することが方法としてありかもしれません。 ありきたりですが、育てる、信じてやらせる・・・ということが、実利的なのかと思います。
- 親なきあとを考える③
「障がいによって、自分で生活ができないであろう」。。。だから、今は主に家族がフォローをしているが、将来、親なきあと、その「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」と考えてしまいます。 この点を考えるために、上に書きました2点に着目しています。つまり・・・ ①「障がいによって、自分で生活ができないであろう」 ②「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」 前のブログで、①「障がいによって、自分で生活ができないであろう」を細かい部分で本人の真の力、潜在的な力を見出せるようにしたら、親なきあとの不安が少し整理されるかもしてない、と書かせていただきました。 今日は ②「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」について考えてみます。 親なきあと、心配になるのは今まで親が本人に代わってやっていたことや、色々受けていたサポートが一変するのでは?ということです。 本人には出来ない、と家族が思うことの代表例が、金銭管理、健康管理、日々の生活管理、地域との関係、時間管理、社会のリスクからの防衛など・・ 一方で、比較的どなたもできる事としては、欲しいもの・やりたい事へのアクセスです。自分が楽しい、欲している、やりたいという欲求に対しては、案外知恵を働かせてアクセスできるものです。 欲しい飲み物、食べ物・・・比較的正しい名称でしっかり訴えたりしませんか? そこで家族がフォローすることがあるとすれば、その行動を制御したり、本人が得た情報の正誤を見極める的なことになっていると思います。 例えば、”好きなゲームを買いたい”があるとします。どこで売っているかの情報は本人が得る。しかし、それが本人や家族の財力に見合っているかの判断は家族がすると言った形です。 ここで、本人が持つ力は”情報へのアクセス”、持っていない力は”金銭管理であったり、ゲームのやりすぎ防止の生活管理”のように見えます。 仮にそうだとしたとして、家族がいなくなり、フォローがなくなったときに、本人が持っていないであろう力は誰かが代行するということを考えるのが良いです。 具体的には、金銭管理は公的なサービスでも行ってくれる制度がありますし、人によっては、定期的にお給料等が入ってくる生活が始まると、自然に使うお金の量的な感覚が自分なりに身についてくる場合もあります。交渉をして成功するといつでも天井無く、親や家族からお金が出てくるから金銭管理の力が獲得しにくい、ということは良く見ます。 あたり前のことしか申し上げられずに恐縮なのですが、究極的には(家族などの)フォローがなくなった時点が”公助”、つまり福祉制度などでカバーが始まるきっかけになります。そして前もってカバーするサービスを探しておくということになります。 また、前述のように事務的にサービスが提供されるうちに、本人自身に力がついてくる可能性も加味して検討する、ということです。 このように、親や家族がいなくなった時に、親などが担っていた機能を細分化して、一つ一つ公のサービスや第三者の機能に置き換えてゆくのですが、置き換わることで、恐らく本人は一時的に不便を感じると思います。しかし、それは家族の不安よりはるかに小さいもの、と捉え、家族はその不便に不安を感じる必要はないのだと思います。 先ほどの例でいうと、金銭管理や生活管理はできないであろうと思われるが、実際に働き始めてお給料が定期的に入り、定期的に生活費が出てゆくことで、本人なりの意識が生まれ、金銭管理ができるようになる場合もあります。 見守るだけ、自分でできるようになるまで、整うまで社会サービスを利用するということでも良いのかもしれません。
- 親なきあとを考える②
「障がいによって、自分で生活ができないであろう」。。。だから、主に家族などがフォローをしている。 親なきあと・・というのは、その「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」ときで、そのときを考えると、家族に無限の不安が押し寄せることになるのだと思います。 ここで、上に書きました以下2点について着目したいと思います・・ ①「障がいによって、自分で生活ができないであろう」 ②「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」 ①「障がいによって、自分で生活ができない」と考えがちですが、一つ一つの「できない」を見るべきです。それらは全てが障がいによるものでしょうか? 障がいがもたらす生活の制限とは、例えば、”伝えたい事を言葉で伝えられない”や”身の回りのことが自分でできない”・・・その他たくさん・・だったとします。 障がいの状況にもよりますが、前の例では「言葉で伝えられない・・」というのは、言葉に置き換えることが難しいのか、発語自体が難しいのか、あるいは対人面で不安が大きく緊張から混乱してしまうのか・・細かい部分で制限の内容は異なります。 そして、練習や経験が重なることで、自分で獲得できることもあるかもしれないのです。 そうなると、家族のフォローが無くなっても自分で自分をフォローできるようになります。 今は、家族等のフォローがあるのが習慣になっているという可能性もあるのです。 良く言われることですが、家族が代わりにやってしまうことで、自分でやらなくなる・・ということは確かに就労移行支援事業所ユースターを利用される方にもみられることです。その状況は、本人の生育歴の中で生み出されたサバイバル方法ですので、決して否定されるべきものではなく、積み上げてきたこと自体は尊重すべきことです。しかし一方で、そこから本人の自助力の真実は見えにくくはなっていますので、客観的に自助力を測ることが良いのかもしれません。 自分でもできること、自分も家族もそれを知っていながら、つい家族がフォローしてしまうことがあります。そうなる気持ちは良くわかりますし、そのこと自体に問題があるわけではないと思いますが、本人にはできる力があることを家族は忘れてはならないと思います。 そして、親なきあとの不安から、せめてその項目を削除できたら良いのではないでしょうか。(その時になったらやるはず・・と) その項目を親の不安から削除するためには、客観的に自助力がどの程度あるかをみるべきなのかもしれません。それには家庭外で過ごす時間、社会で過ごす時間を多く作ることだと思います。専門機関や身近にいる支援者の何気ない評価「これは○○さんは自分でやっていますよー」の客観的なアドバイスも参考になるかと思います。 やり方がぎこちない、時々失敗する・・・などが不安として残る場合もありますが、経験を重ねることで獲得できる力は相当あることや、本人自身が元々持っていること、周りを見る力があれば、そこから新たに習得できること、失敗経験によってリカバリーできる能力などを信じれればと思います。 次に ②「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」 親なきあとが心配になるのは、今まで親が本人に代わってやっていたことや、色々受けていたサポートが一変するのでは?という点かと思います。 次のブログでこの点について書かせていただきます。 (ブログは毎週月、水、金曜日に発信しています) つづくー
- 〔ブログ500回〕親なきあとを考える①
創業時から始めました当ブログ・・今日で500回を迎えました。 いつも多くの皆様に読んでいただき、時にはフォローやご意見などもいただけていること、心よりお礼申し上げます。 当ブログはこれからも続けて参りたいと思います。私達ユーファースト、就労移行支援事業所ユースターの活動や目指していることをお伝えできればと思っています。 これからもどうぞよろしくお願いいたします!🙇♂️ 今まで、当ブログでは、気軽に読んでいただければ・・・という想いから、あまり肩ひじ張らないで書いてきました。 しかし、私自身も皆さんと一緒に考えたいテーマがあるという想いから、たまには少し重いけれども大事な話題に踏み込む時もありました。 今回、節目を迎えて「親亡きあと」のことをシリーズで書かせていただきます。 とても難しく、答えがあるようで無いテーマになります。 知識や情報を充分に集められていないことから不十分な内容になるかもしれませんが、なるべく重すぎず、そして具体的に書けるよう努めますので、読んでいただければ幸いです。 個人個人の事情が大きく異なることから、「親なきあと」の悩みは十人に十通りあると思います。 共通していることといえば、家族として、親として、いざとなったとき、自分はその場にはいない、何もしてあげられない。それだけに不安や心配は無限大・・・誰に相談したら良いかがわからない、誰が保証をしてくれるかもわからない、何を準備するべきかわからない。。。といったことでしょうか? 自分のことは自分でできるのが一番良いのですが、それは無理、とついつい考えてしまう。自分で自分のことを行っている状況が想像できない・・・そのようなことをおっしゃる親や家族は多くいらっしゃいます。 そのような家族には、「誰がサポートをしてくれるか?」の前に「自分ではどこまでできるのか?また将来(親がいなくなるころ)はどこまでできるようになっているか?」から考え始めるのが良いのではないでしょうか? 自助、共助、公助、(互助)・・・はご存知の言葉かと思います。災害や地域包括ケアで使われる言葉ですが、親なきあと、障がいのある方が一人で生きてゆくことにあてて考えてみたいと思います。共助と公助を現存する悩みに当てはめると・・ ・自助=全てを考える鍵になる ・共助=通常は社会保険などを言いますが、それとは離れて「誰が助けてくれるか」と考えてみるーその時に残っている家族や親せきか? ・公助=「どのような福祉のサービスがあるか?」 つまり「自分ではどこまで自分のことができるのか?」をなるべくリアルに詳しく知っておくことで、次の「誰が助けてくれるか」「どのような福祉のサービスがあるか?」を具体的に考えるヒントになると思います。 ”自助”が成り立たない・無理な部分は何で・・そこには共助を求めるのか、公助ではどうなのか?と考えるべきと思うのです。 親やご家族が、親なきあとを心配される場合「何となく不安」「すべてが不安」「わからないことが不安」ということがあるかと思います。 また、この子は何もできない、何もわかっていない、しようとしない・・と考えているようです。 一方で本人は?、というと、自分は何をサポートして欲しいのか、どのようなことが必要なのか?が定まっていないこともあります。 そのために周囲は試行錯誤を繰り返しながら、本人の本当の要望・ニーズに近づいてゆくしかなくなっている場合があるのです。つまりその答えを見つけることから支援がスタートする場合が多いのです。 それも、本人抜きで考えてしまうこともあるのです。 しかし、もし事前に自助はAからCまでといったように、ある程度でも整理されていると、支援がもっとスムースに進みやすい場合が多いのです。 基本的に、まずは自助・・つまり自分でできることはやってみる、そして自分で行えない部分がわかれば、その部分を身近に寄り添う人(がいれば)その人が行うか、第三者に求めるのか、を決めれば的確なサポートを受けやすくなるだけでなく、漠然とした家族の不安が少し具体的な不安に変わるかもしれません。 つづくー
- 福祉リテラシー
ブログ499回です。 最近、「リテラシー」という言葉が日本語化されて、良く使われると感じませんか? 特にデジタル化が浸透してきた中で、リテラシーという言葉を耳にするようになったと思います。 「リテラシー」という言葉は実際には、何に使われているのでしょうか? ・ITリテラシー ・メディアリテラシー ・ネットリテラシー ・コンピュータリテラシー ・情報セキュリティリテラシー ・金融リテラシー ・・・ ーーやはりビジネスの領域を中心に、おおむね、デジタル分野で専門的に使われているということがわかります。 確かにコンピューターリテラシー、ITリテラシー・・といった表現を耳にすることが多いので、ついデジタルに特化した用語と思いがちなのですが、どうやらコンピューターやデジタル分野にだけの専門用語ではないようなのです。 そもそも「リテラシー」は日本語では「識字」という意味に当たるそうで、読んだり、理解したりすることそのものを指します。それをカタカナにしてリテラシーと呼ぶそうです。さすがに日本語で「デジタルの識字力が低い人は操作が大変です」とは言わないために、昨今流行っている英単語を使って「デジタルリテラシーの向上が必要です」といった表現に替えているだけなのです。 つまり、特定な領域の知識や操作についてゆけないことを、リテラシーが低いと言い換えているだけなのだと思います。 難しく考えずに「それって、日常的なことにも言えるのではないか?」とも思います。 たとえば・・・ 日用品や食材の買い物を全て家族に任せている人は、物価や野菜の価格リテラシーが低い、とも表されるのかもしれませんね・・ 福祉リテラシー 耳にすることはあまり多くありませんが「福祉リテラシー」という表現も存在するのです。 福祉リテラシーとは、生活に関する課題や生活の質(専門用語でQOLと言ったりします)をあげるために、福祉に必要な知識や技術を得て、更に正しい理解と解釈をすることです。また大事なのはその先で、それを正しく『実践したり活用する力を持つ』ということです。 リテラシーは前に書きましたとおり「ある特定分野に関する知識を理解して活用する能力」 ですので、特に福祉で大事なのは「活用する能力」なのかと思います。 机上で「福祉とは?・・」を研究し、議論をすることは大事ですが、それを専門職(つまり支援者)が実践する力を持つことも社会から求められているのだと思います。 まさに就労移行支援事業所ユースターはその「実践者」としての責任を担っています。 そして、福祉リテラシーを持つ実践者としては、本来の正しい知識や技術をもとに、以下の能力を備えることが特に大事だと思います。 ・判断能力 ・活用能力 ・識別能力 ユースターは就労支援を行う福祉機関です。 単に就労支援だから、就職を促すだけのことで終わると、その支援は『福祉リテラシーが低い支援』となってしまい、利用される方が困ったり、その方や関係者に迷惑がかかることになってしまいます。 そうならないために、まず最初に支援にあたるスタッフなどが、自分自身の福祉リテラシーを高めるために努力をしながら、利用される方には、情報リテラシーやITリテラシーのアップデートを行い、社会から求められている働き方や、働く知識を高められるように支援することが必要になると思います。 就労移行支援事業所ユースターは、私たちの有り方を問いながら、古い情報や固定概念の殻を破り、障がいのある方へ、今の時代に合わせた生活の仕方や自分を高めてゆく支援を今後も実践して参りたいと思います。 次回のブログは500回となります、今まで、月・水・金曜日に発信して参りましたが、つたない内容を読んでくださったたくさんの皆さま、ご意見をくださった皆さま、本当にありがとうございます。 次回は500回の特集として「親亡きあとを考える」を書かせていただきたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。
- 実践に勝るもの・・②
実体験で得られることは、形として見えるもの、見えないものの両方があります。 例えば、書類を日付順に整理をするという仕事を指示されたとき、年月の順番はピンと来ていますか?・・「一年は1月に始まって12月に終わるのは当然わかっているので、あたりまえ」と思うかもしれません。しかし書類の束を年号月日順に「ミスなく」4時間並べ続けられますか? 仕事となると「正確⇒ミスなく」が基準です。 就労移行支援事業所ユースターでは「ファイルトレーニング」というプログラムがあります。そのプログラムの最初が書類を日付順に手で並べます。決まった時間で決まった手順で行います。 2月22日、12月12日、12月1日、2月12日、1月21日の日付の書類、とっさにノーミスで並べ替えられますか? こんなことはできるのは当たり前、と思っている方は、それだけでその仕事をメインに一日過ごす業務には不向きなのかもしれません。 どういうことかといいますと「できるのは当たり前」⇒つまり、その仕事を軽視している⇒それだけではなく、実は「やりたくない・苦手」・・と思っているのかもしれないからです。 なぜなら、やれる自信があるものに対しては、すぐにとりかかろうとする習性が誰にもあります、苦手なことは一呼吸置いてしまう、距離を取る、他の人がやるのを待つ・・などの行動を無意識にとってしまうかもしれないからです。 もう一つ「掃除」という難しい仕事で行動特性が顕著に出ます。 ユースターでは清掃を真剣に行うトレーニングがあります「掃除なんて仕事は学ばなくてもできるし、そもそも目指していないから」「それは『誰かが』やる仕事でしょ」と避けようとする方がいたとします。その方は清掃を軽視した振りをして、敬遠、回避しているのかもしれません。 つまりは、どうやったら「完全な形の清掃」「清掃の正解」がわからないから・・ということかもしれないのです。その方には清掃の方法をむしろアドバイスすると良いのかもしれません。 事務の仕事であっても、パソコンの仕事であっても、終わったらテーブル周りは掃除するでしょうし、会社では、たとえ清掃担当の人がいたとしても、整理も含めて何らかの清掃は行う可能性は高いのです。 実習をしてみると、自分が仕事に向き合う姿勢が自分でもわかります。すべてのものを素直に受け入れて取り組めるか、まずは心の底で一つ一つの仕事を「値踏み」して「やる・やらない」を決めてはいないか? やってもいない仕事を値踏みすることは「やりたくない、できない」という心理があるから、ということがわかるだけでも大きなメリットです。
- 実践に勝るもの・・①
就職して働く準備として、実際に働いている自分のイメージを持つことは必要ですが、それだけではなく、自分の(障がいという点ではない)特性、働き方のこだわり、仕事に対して持つ価値観、自分の成長など・・・これらのことを知り、感じることができるのが実践経験です。 自分を知って感じるために、会社の中で、実際に身体と頭を動かしてみることはとても貴重で、かつ効果的な活動です。 それらのメリットを得られるよう、障がいのある方が就職するために、実習や職場就業体験といったさまざまなしくみがあるのです。 『しかし、障がいのある方だけに限りません・・・』 働く体験、実習といった実体験により得られるメリットは、何も障がいのある方に限ったものではありません、障がいの有無に関係なく、実際に体験することから得られる、自分データ、技術、認識等は数多くあります。 さらに、実体験で得られるものとして、形として見えるもの、見えないものの両方があります。 それは、身体を使って獲得したものの他に、五つの感覚(五感)の全てが刺激を受けたからです。 目に見えないものとしては以下のように多くあります。。 ①「社会人として働く」ことについて自分が持つ意識は、名誉?、苦痛?、罰?、ご褒美?、その他?・・・ ②自分の体力、特に脳の持久力、集中力は・・? 実際、自分は一日何時間持つのか ③毎日の通勤は、自分には耐えられないほどの苦痛か、気にならないのか、むしろ楽しめるか? ④同じ場所で同じことを繰り返すことは耐えられるか? 自分は飽きっぽいか? ⑤働く自分の姿は誇りに映るか、なんとも思わないのか、人には隠したいほど嫌か その他多くのことが実感できるのが実体験の魅力です。 大げさではなく、実習などの実体験は、たとえ数日であっても、施設内でのトレーニングの一年では得られないほどの貴重な産物があります。 『まさに、実践に勝るものはない』とも言えます。 実践から得られるものとして就労移行支援事業所ユースター内での実践トレーニングを次のブログ「実践に勝るもの・・②」でご紹介したいと思います。ー(つづく)
- 人と接する”しごと”がしたい②
「接客業」というお仕事があります。 接客が描くイメージとしては、カウンター等を挟んでお客様と対面で話している姿・・・まさに「接客」っぽい絵です。 しかし、接客業には、それに付随する大変多くの職種があります。 一部だけでも例を挙げれば・・お客様に提供する情報収集をする、売る(買う)、話す、立っている(案内)、データを整理する、書類をつくる、清掃をする、笑顔を届ける(展示会等)・・・・・キリがありません。 全て接客業、とまとめてしまうのも良いのかわかりませんが、たいていの場合「接客業」と聞いてイメージするものは、冒頭のカウンターを挟んでお客様とお話しするような、多くの職種のほんの一部にすぎないのです。 良く考えると、世の中にあるお仕事のほとんどが、誰かエンドユーザー(消費者やそれを使う人)クライアントがいるものだと思います。 そうなると、ほとんどのお仕事は、直接間接、対面リモートを問わず何らかの接客をしているのかもしれません。 接客が好き、という方の就職をサポートした経験があります。ある小売店に就職をしたその方は、バックヤード中心のお仕事ばかり指示されて不満をあらわにしていました。 まだ駆け出しの(今でもですが💦・・)ジョブコーチ(働く本人を職場で支援する人)だった私は、会社にお願いして本人がお客様のいるフロアで働けるようにさせてもらいました。 しかし、その結果、本人はお客様に”おしゃべり”をもちかけたり、聞かれていない説明をしたり・・・商品を吟味しているお客様に「何を探していますか?」と割って入り、会社に困惑をさせてしまうことになってしまったのです。 その本人に罪はありません。駆け出しジョブコーチだった私が、お客様のいらっしゃる場所に出れるようになったときに本人に対して「接客は、お客様に話しかけたり、おしゃべりをする仕事ではなく、お客様のお話しを聞くお仕事です」と基本的なことを説明するべきだったのです。それができず、調整をしただけが問題だったのです。 今でもその時のことは、本人の実習というより私の実習だったように感じています。 そういうジョブコーチも人と接する接客業なのだと思います。













