親なきあとを考える⑥。最終回です。
私達の社会にすでに存在する福祉サービスや福祉システム、これは万能ではないことは既述の通りです。
その中で、どれかを当てはめてゆくことで本人の将来の生活を考えなければならないのが現実ですが、見方を変えて、社会にはさまざまな立場の方、例えば高齢者、経済的困窮者、外国籍の方など・・・が生活されています。そして、それぞれの立場の方に社会がサポートするサービスが存在します。
障がいがあるから福祉のサービスとつなげず、社会に存在するバラエティーに富んだそれらのサービスの組み合わせについても、親なきあとで使えるものを考えるべきかと思います。
そして、そのサービスも恒久的(ずっと)必要ではなく、その出来事があった時に一時的に使う、ということもあるかもしれません。
一時的な手配の例として、親が亡くなり、お葬式をどうするか?残された障がいのある本人だけになってしまう。。があります。このようなことまでが不安の一要素になりうるのです。
残された最後の一人の方が障がいのある方でなくても、高齢の方のようにご自分では葬儀の手配等は難しい、といった状況は世の中にたくさん発生しています。特に少人数化した家族構成の中では増えています。
そのため、社会には対応するサービスは有料無料含めていくつもあります。不安に感じることではないのです。
例としては、・死後事務委託契約(残された家族ではなく、契約をした人が自宅の清掃から、未払い公共料金の精算、ペット引き取り先の手配まで行うなど)、・遺言、・互助会等の利用・・・その他です。
一時的な手配についてはまさに、福祉分野ではないサービスも公民合わせて利用するべきです。
そして、残された本人の将来の人生についても同じような考え方はできないものかと思います。つまり、障がい福祉だけのサービスで考えず、本人を中心に、周囲の方の力で「カスタマイズ」して本人の人生を創造してゆく、という事です。
このテーマの①で自助、公助、共助をとりあげました、自助の次は公助、共助だけでなく、プライベートにつくってゆく”民助”とでもいう新しい自助の形もあるのかもしれないです。
障がいのある方のどなたにも言えることは、その方の障がいが重いとか軽いではなく、どの方も軽い部分と重い部分の両方持ち合わせている、ということです。
何にサポートが必要かを明確にしてゆくことが将来家族がいなくなった後に、生涯に渡って必要な遺言です。
「なんでもできる人だからたぶん大丈夫ですが、一応見ておいてください」と言われた人や支援者は何をしたら良いかわからないのです。
残された人に、漠然とした障がいの状態を伝えるよりも、何をしてくれるのかがあらかじめ伝わっていることが、本人にとっても助かることなのだと思います。
そして、本人が自分だけではなく、他の家族のことも担える力が発揮できる方は、むしろ本人が他の家族を支えられれば良いと思います。
親亡きあとはとても心配です。。。。簡単ではありません。
この「親なきあとを考える」を6回のシリーズでお伝えしました。大変読みにくい点が多くありましたことをお詫びします。お読みくださり、ありがとうございました。
「まとめ」にはなりませんが・・
残される人、残して去る人、それぞれが本人を良く見て、考えてゆく、そして具体的に引き継ぐ、また社会に存在するしくみを効果的効率的に活用する、ということなのかもしれません。
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