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- 目立つひと①
おおぜいの中で、特に目立つ人っていますよね。 たとえば、いつも話している人、大きな声で話す人、動きな大きい人、身体が大きい人、など・・・ 複数の人がいる中では、特に周囲の人の視覚や聴覚に刺激を与える人(回りくど言い方で恐縮ですが、つまりは’やかましい人’や’動きが目立つ人’でしょうか)はどうしても目を引きます。 ・・・・・でも考えてみれば、その人は、確かに目立つ人であったり、人目を引く人であったかもしれません、、しかし後々まで人の心に残る人、人の印象に残った人、であったかというと、それとは少し違うかもしれません。 もちろん言葉や行動も目立ち、ずっと心に残る人も多くいらっしゃると思いますが、必ずしも「目立つ人=あとあとまで印象に残っている人」・・・ではないと思います。 とても大きな「声」で話したり、「動き」が派手な人は、その場で目立っていても、人の心にまで届く「声」や「動き」になっているとは限りません。 学生時代、自分は目立っていなかったし、誰からも気づかれなかった存在で、たぶん、当時の同級生は、今は誰も自分のことを覚えていないだろう、とおっしゃる人がいます。 学生時代、辛いことも多く経験したので、その当時のことは思い出したくない、だから同級生は自分のことは覚えてくれていなくても良いし、自分も忘れたい過去だと思っている・・・という人もいらっしゃるかもしれません。 そういった気持ちはもちろん全てを尊重されるべきですが、その方に「今の自分はどうでしょうか?」とお聞きすると・・学生時代からそうであったので、今の自分も誰からも関心を持たれないし、自分も他の人には前向きな関心を抱かない・・とおっしゃる人がいます。 自分は人には影響を与える事はできない。。と思っているのかもしれません。 そのような方には 「目立っていたのか、人から関心を持たれたか、ということと、人の心に印象や影響を与えたか」ということは、ひょっとして別かもしれません。。。 とお話する時があります。人の心や気持ちはそう単純ではなく、時が経過して、それぞれが色々なことを経験し、成長すると、意識も変わり、当時気になっていなかった人でも、とても気になり出すことってあるかもしれません。 昔の同級生、友人、知り合い、あの人はどうしているかな・・と突然思い出すのは私だけでしょうか・・・ 目立つ人と印象に残る人は、やはり異なる気がします。。。
- 自立②
自立を自律と書く場合があります。 福祉の業界では、特に好んで使われる言葉です。「 他からのコントロール、制約、強制などを受けずに、自分でできることは自分の意志で決めたり、行ったり・・」という事です。 福祉は、人を中心に据えて、それぞれの方を尊重しています、という理想を持っています。 ・・であれば、他からの制約を受けないで行動する「自律」をサポートするのであれば、そのサポート自体が「制約」になってはいけないと思います。 自立は全て自分で、自律は自分でできることは自分で・・・という違いがあります。障がいなどで全てを自分で行うことが難しいと思い、自律をサポートして欲しいと希望される方へは、自律のサポートはありだと思います。しかし、その際は、必ず本人の認識する自律は何かをしっかり確認し、イメージを合わせないと、サポートは成り立たないと思います。 全員に一律に同じ支援、というのはこのイメージからは完全に外れるものです。 自分でできることは自分で・・という前に、もっと大事なことは、 自律できる部分、できない部分、そのどちらであっても「本人の自由意思を尊重する」ことです。言うまでもありませんが、このあたりまえのことが、特に一律の支援をしてしまう時に、守られないときがある気がします。ユースターでも同様の過ちが起こりえます。 自立か自律か、、という以前に大事な部分を忘れずに、ユースターでの支援を提供してゆきたいと思います。
- 自立①
『自立』 とても素敵な響きを持つ言葉だと思います。 自立は、力強さ、逞しさ、責任、成熟、大人・・・など、ポジティブなことを連想させる言葉です。 もちろんネガティブな時に使われることもあるかもしれませんが、その割合は少ないでしょう。 私たちは自立した人や生活を、良いこととして目指す目標にしていることがあります。 それはそれで良いのですが・・・困ったことに、この「自立」という言葉が、福祉の世界、とりわけ障がい者福祉の中では、あまりにも多く飛び交っているのです。障がい者の自立、自立生活、自立支援・・・・などなど、ほぼ乱用されている・・というと言いすぎでしょうか。 もちろん、冒頭に書かせていただいた通り「自立」は良い意味で使われることが多いので、たくさん使われること自体は問題はないと思うのですが・・・でも何か引っかかる感じがするのは私だけでしょうか? 何に引っかかるか、と言いますと「障がいを持つ本人の存在」です。障がい当事者の自立・・と言われて、当の本人はどう思うのでしょうか?。。。 少なくともその時点では、世間から「自立していない」と見られている。。だから「自立しましょう」と言われているのではないでしょうか?。しかし、本人は「私は自立していない」と本当に誰もが思っているのでしょうか?さらには「自立をしたい」と全員が思っているのでしょうか? 少なくとも、私が出会った障がい当事者の方へ「あなたは自立していますか?」と質問をしたことはほとんどありません、なぜなら、その質問が、ナンセンスに感じてしまうからです。 極端に言えば「私は自立している」と自分自身で信じているのであれば、その方は自立しているのでしょうし。そもそも「生活」をするには幅広い分野の能力を必要としますので、障がいの有る無しに関わらず、誰でも自立している部分もあれば、していない部分もあるのではないでしょうか? ちなみに、私ははみがきは自立して一人でやっていますが、料理は家族にしてもらうことがほとんどです。 そして障がいのある方は自立を希望している、自立が必要、という認識を一律に持つことは、何かが違うと思います。 ついつい乱用(?)しがちなこの言葉・・私自身もあらためて考えなければと思っています。
- コントラスト②~マイノリティー
先のブログで日本人気質や集団主義的傾向について個人の見解として書かせていただきました。 しかし、時代が進み、日本も、かつて人々の安心の拠り所だった地域・職場・家族といった集団的な共同体から、個人に移っていることは明確です。 例えば職場については、企業や集団の地位や名前がその人を表す一つにまでなっていたために、大企業ー有名企業ーが就職したい先として挙がっていたり、本人の能力は別にして、有名な学校に所属することが本人の評価や、あたかも持っている能力を決めていたような時代がありました。 それが、今は自分のやりたいこと、自分の居場所ではない、と感じて集団から抜け、自分が個人としてやりたい事を目指す若者が増えつつあります。起業をする人も増えていることは日本人にとって大きな変化かもしれません。 今、日本中で話題となっているのが性的マイノリティーへの理解促進やLGBT法案です。マイノリティーや少数派は、日本人にとっては、このテーマを乗り越えることは、他の国の文化で生活している方々よりやや困難なのかもしれません。 しかし、個人のレベルで考えたいという日本の現在の潮流から、安心側にいる人であった場合を想像した「なんとも感じない」という個人の気持ちが、大きな包容の力に成長して、マイノリティーとマジョリティーの共存に発展すれば良いなと思います。 ブログのテーマは、コントラストです、コントラストは、暗いと明るいの両方がある時に、両方に視点を置いて言う言葉だと思います。性的マイノリティーでもジェンダーでも障がいでも、マジョリティーやマイノリティーがむしろコントラストとしてある社会であって欲しいと思いますし、それを実践するのは個人個人であり自分であり、みんななのだと感じます。 画像や映像編集でも、コントラストを低くすると、色相的な違いが弱くなります。コントラストは高い場合と低い場合、両方に効果や魅力があります。コントラストを低くすると、全てが同じように見え、印象が弱くなります。でも刺激も少なく見やすいという利点もあります。一方でコントラストが強いと、視覚的刺激は大きくなりますが、個々が浮き上がり、メリハリがついて、それぞれの個性がわかりやすくもなります。 強いのが良いとか、弱めるべき、とかではなく、コントラストそのものを受け入れられると良いと思います。
- コントラスト①~日本人気質から
周りのものとなるべく同じでありたい・・自然な感情だとは思います。特に集団主義的であると言われる日本人はその傾向が強いですよね。私自身も日本文化の中で生まれ育ち、その感覚は強く持っています。 周りの人と同じであると、なんとなく安心します。。。。そこで、なぜ安心するのか?考えてみました。その結果・・・ (個人の感想ですが) ・誰からも指摘されない、じろじろ見られない、突飛でない、目立っていない、仲間外れにされにくいのでは・・などから、他の人と同じだと「安心」、と感じるんだ、という結論に至りました。 一方、自分が「他の人側(題して安心側←みんなと同じ)」にいると確信できた場合、そこから反対側を見た時にどのように感じるのか?ということも自問してみました。その答えは「特になんとも思わない」です。個人的には、程度にもよるかもしれませんが、みんなと違う人を見ても、ちらっと見ることはあるかもしれませんが、心の中や感情的にはそう動かない気がします。 その結果から、自分が他の人より浮いているととても不安になるのに、安心側にいる時は、そのような人を見ても、なんとも思わない人が多いのではないか?とも思います。もちろん程度や周りへの影響、TPOなど、結果を左右する要因はたくさんありますので一概には言えませんが・・・。集団主義的傾向の日本人でも、マジョリティーは一定のマイノリティーを受け入れる包容力があると思っていますし、そう信じたいです。 同時に誰がどっちの側か、ということにもこだわりがちです。。。日本人気質でしょうか? あまりコントラストをつけたくない文化かもしれません。それがお互いを消しあわなければ良いなとも思います。 「沈没船のジョーク」は聞いたことがある方もいらっしゃると思います。あらためてご紹介したいと思います。外国から見た日本人だそうです。 『世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっています。乗客の数に比べて、脱出ボートの数は足りません。その船の船長は、泳げる乗客を海に飛び込ませようとします……。船長が各国の人を飛び込ませるために放った言葉とは何でしょう? アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローですよ」 ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」 イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」 フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないでください」 イギリス人に対して・・・「紳士なら海に飛び込めますね」 ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」 日本人に対して・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」 』
- 言葉をかける①
毎年、特別支援学校(養護学校)の先生を目指す大学生がユースターに勉強の一環として来られています。 これから、教育の分野で活躍をされる期待の星でもありますし、将来の障がいのある方への学校で過ごす時をコーディネートしていかれる重要なお仕事を担われる人です。 その学生さんと、いろいろなことをお話しする中で、ある学生さんが、私たち支援スタッフに、とても素朴な疑問を投げかけてきました。それは、支援者が良く言う「言葉がけ」についてです。 「言葉がけとは具体的にどんなことをするのか?」という疑問でした。 その質問を聞いた時、心の中でハッとするものがありました・・・と言いますのも、何気なく行っていた言葉がけ、支援者として何をどのように言ってきたのか?についてあまり覚えていなかったり、意識が薄かったような気がしたからです。 確かに、私たち支援スタッフは、利用される方に「何か」を言っている、つまり言葉がけを日常的にしています。しかしその言葉がけとは、普通に「話しかける」ということとは、大きく意味合いが違うような気がします。 そして、毎日、なにげなく利用者の方へ話しかけていることが「言葉がけをしている」と思ってしまうのは、乱暴で粗いと感じざるを得ませんでした。 つまり、支援に責任を持つ支援スタッフの行う言葉がけとは、その言葉がけによってご本人が一番解決したいことに、何らかの良い作用をもたらしたり、良い影響を与えるものでなければならないと思うからです。また、本人と環境、あるいは社会をつなぐ言葉、例えば「あなたが作ったこの商品で買う人も喜ぶし、販売するお店も利益が出て喜ぶかもしれません」・・・など、自分は社会の一員である、と確認できるものにならないといけないと思った次第です。 話しかけだけに終わらないようにしたいです。
- 答えは無い!
ユースターの就労に向けた準備(意味づけをするために「トレーニング」と呼んでいますがそれほど堅苦しいものではありません)ですが、正解が無いトレーニングの割合が多いです。といいますか、ユースターのほとんどのトレーニングプログラムには「目的」は合っても「正解」は無いです。 私たちにとって、正解とは何だろうか?と考えるときがあります。学生であった時のドリルや試験のように正解不正解がはっきりしているものとの生活は、実は学生時代に終わったのかもしれません。学生を卒業してからは、正解は自分で考えるもの、折り合いをつけて正解を作っていく・・・・いくつもの正解のなかで悩み続けている・・・そういうのが人生であったり、生活であったりするのかもしれません。 ユースターのトレーニングプログラムを受けている方々は時には正解を支援スタッフに求めます。しかし、このトレーニングプログラムはドリルや試験とは異なるもので、働くことを通した社会での生き方や、自分の人生を考えることが題材になっています。 「目的はあっても正解は無い」と書かせていただきましたが、言ってみれば正解は自分が持っているものです。そういう確信と共に社会の中での自分というものの存在を知っていくことで、社会に出る覚悟と自信、そしてサポートを得る安心を感じていただくためのものです。ですので正解は自分でしかわからないし、自分の中に必ずあるものです。 人が決めた正解、人から与えられた正解というものではないのです。 正解が無いということは、自分で考えなければならない、ということで、時にはきついことでもあります。しかし一方で自分なりの正解を見つけられた時に、上記に書かせていただきました目的を達成したり、一段成長した実感を得られれば良いと思っています。 そもそも、世の中には正解の無いものはとても多くあると思いますし、それだけ私たちは、無いであろう正解を求めて生きているのかもしれません。 さまざまな課題にどう向き合うかが問われるのが社会人なのだと思います。
- みなぎるもの②
実習は企業で実際に働く体験をするものです。支援スタッフが同行して一緒に働いたり、慣れてきたら単独で働いてみたり。。その場合、何かわからないことを聞いたり、コミュニケーションを取る相手は、まさに企業の方であって「リアルな上司・指示者」です。 就職を目指すユースターの皆さんは、当面の目指すことを会社に所属して働いて、お給料などの報酬や評価を得る、ということをイメージして頑張っていらっしゃいます。 実習になると、その思い描いた場面にぐっと近づいたように感じるようですし、実際に近づいているのです。 まだ正式に雇用されたわけではありませんが、企業の方から指示を得て、企業の仕事を自分の手で行い・・・「リアルに働く」ことになります。 その時に、多くの皆さんの顔つきや態度が一変しますし、頼もしさが一段と増します。 本人たちは実感が無いかもしれませんし、たいていは「普段と変わりません」という感想をいただきます。本人としてはそうかもしれません、でも客観的に見ると、皆さんの変化は顕著にわかります。 この実習の効果はまさに緊張する場面でみなぎる潜在的な力なのだと思います。 そして潜在的な力は、普段からのトレーニングや準備の積み重ねです。 一方、もうひとつ積み重ねている大事なものがあります。それは「ルーチン」です。 実際に企業に入って実習をする緊張の場面でもルーチンがしっかり根付いていれば、行うことができます。 むしろ、緊張が高まり、気分も高揚する時ほど、ルーチーンはきちんと遂行できるものですし、前のブログで書かせていただいた通り、ルーチンが自分を落ち着かせるものです。 ですから、みなぎる力を思う存分出して、一方で大事なこと欠かさずに行うためには、いつも行うべき行動や態度、言葉を「ルーチン」にまで定着させておくことがコツなのだと思うのです。 良いルーチンが多ければ多いほど、やるべきことを欠かさず行い、なおかついつも以上の力を発揮できるのだと思います。 自分や他の人から見える「その方の持つ力」は実はほんの一部です。もっともっと力を持っている・・・と思うと、目の前のユースターの皆さんにとてもわくわくします。 皆さんの健闘がとても楽しみです。
- みなぎるもの①
気分が落ち込み中でも、まったく別の悩みや気になることに苛まれていても、毎日の習慣(ルーチン)行動は忘れることはめったにないと思います。例えば、今日は初対面の人と会う、初めて会社に出勤する、大事な発表がある・・など緊張する場面が予定されていて、朝から気持ちが高揚していても、多くの方は、朝のはみがきは忘れずできるのではないでしょうか。 ルーチンの行動、特に完全に行動パターンとして身についたものは、簡単には忘れません。 気分が落ち込むなど、凹んだ波の中にいても、どんなに思い悩んでいてもルーチンになっているものは飛ばすことは少ないです。むしろ、それを行うことで自分を平静に戻す役割も果たすのだと思います。 一方、何から刺激や感動を受けたり、探していたものに到達したりすると、勇気やプラスの感情がみなぎることがあります。 自分はこうありたい・・こうしたい・・・という希望が強いほどそれに近い状態になったら力がみなぎってくることがあるようです。 就労準備の支援の中で、支援スタッフは度々そのような場面を見ます。 それは・・・以外にも「実習」の場面です。 実習をしている利用者の皆さんは、一様に何かがみなぎっている表情をします。 一つのことに神経を集中して、そして気分の波がどのような状況であっても、ルーチンはきっちりとこなして、そして普段以上の表情を見せ、力を発揮してくださいます。 実習という場面で皆さんの中からみなぎるものはとても自然で清らかなものに見えます。 なぜそうなるか、ということを皆さんから学ぶことができますので、次回のブログで書きます。
- 言葉をかける②
今日はユースターを利用される方から、言葉をかけられた経験から・・・ご紹介します。 利用される方は、ユースターにいる時間以外で得た、たくさんの経験や人との関わり、感じたこと、生活のことをよくお話くださいます。また、他の人との関わりだけではなく、テレビ、SNS、ニュースの話題についても話しかけてくる方もいます。 私達支援スタッフに言葉をかけてくださるときは「〇〇(最近の話題)ってすごいですよね!」「〇〇にびっくりしました!」「〇〇ってひどいですね!」といったように、ご自分が感動したり、大きく心を動かされたことを伝えてこられます。 「〇〇見ましたか?」とこちらのことを聞いてくる時もありますが、あまり多くありません。 一番多い話題は、やはりご自分のことです。とても純粋に、ご自分の気持ちや出来事を伝えてくださいますので、支援スタッフも共感したり、感動を分けてもらったり、時には怒りをシェアできたりします。 内容よりも先に、私達支援スタッフに声をかけてくださることで、とても嬉しい気持ちになるのです。支援スタッフはたいていの場合、何かに追われてばたばたしています(ユースターだけかもしれませんが💦・・)が、言葉をかけてこられる皆さんは、伝えたい事がある、と思うと、いつもきちんと聞く心を準備しておかなければ、と思います・・・ そこで感じることがあります・・・「言葉がけ」とは「かける側」からの一方的な働きかけではなく、聞く側にも相当な心の準備、受けとめるエネルギー、共感する力や相手に返すコミュニケーション力が必要なのだなということです。 言葉がけは支援者から利用者の方々へ・・・というパターンが多いですが、それだけに、言葉がけが一つの支援と思い込んでしまう時もあります。そして、受け手の気持ちを考えずに、言葉がけをしている時も少なくないと反省してしまいます。 受け手には話を聞く準備や、情報を自分に入れる心の余裕、頭の中のスペースも必要になるのかもしれません。そう思うと、どんな単純な話題であっても、言葉がけは「相手側の準備」に気を配ることができないと、良いものにはならない、ということなのだと思います。
- 知らなくても良いと思っていること
今日の題目は長くてすみません。。 「知らなくても良い・・」と思い込んでいることって、世の中たくさんあると思います。 例を挙げたら枚挙に遑(まいきょにいとま)がありませんが、例えば「日本の政治のしくみ」・・・国民全員がどれだけ詳しいでのしょうか。。わかっていないのは、ひょっとして「私だけ?」かもしれませんが、通常国会の意味?各省庁の役割は?官房長官って何している人?審議会と諮問機関の違いは?国の審議会ってどれだけあるの?・・・など。もちろん政治の専門分野で働く方、政治を学んだ方々にはあたりまえの知識かもしれませんが、知らない人は知らないのではないでしょうか?・・・というより「知らなくても困らないからスルーしている」のではないでしょうか。 そうなのです、世の中には「知らなくても良いからわざわざ調べない」ということがあまりにも多いのです。上記「政治」の例はふさわしい例ではなかったかもしれませんが、その他、自分の住んでいる町の人口推移、種類は全く違ってきますが・・外出予定のない日の天気・・なども「知らないで良いことは知らないで済ませる」ということです。 このこと自体は全く悪いことでも怠けていることでもないと思います。 そして私達は情報や知識を無意識に左右に分けているのかもしれません。 ユースターで講座を行う際、とても興味深く、前のめりで聞いて下さる方がいる一方で、それほど関心が無いように「見える」方もいます。。。でもそれは、私の認識の誤りで、関心が無いとか、興味が無い、ということではなく、テーマを正面から受けとめてしまい、受けとめきれない難題だから、と熱心すぎるために「避けざるを得ない」と感じさせてしまったと思っています。 情報を、ある程度整理分類して、無関心になったり、スルーすることも、一つの大事なことなのだと、感じた次第です。 しかし、スルーする落とし穴もあって、スルーしたことが、将来、先につながり、自分に大きな関係のあることだった、ということもあるのです。 ユースターがある地域のごみステーション・・ごみを出す日に枠を組み立てて、ごみを入れる箱を作るのですが、その箱がどうも歪んでいるのです。「歪んでいるなぁ・・・」と知ってはいましたが、全く気にせずスルーして一年余り。ある日その箱がついに壊れ、中のごみがユースターの前に散乱!カラスの大合唱・・そうなると、何とかその枠を直そうと思ったり「なんで壊れているの?」とムッとしたり・・いきなり関心を持つのです。 「知らなくても良い」ことと「知らなくても良いと思っていること」は少しニュアンスが違うのかもしれません。 これからは「知らなくても良いと思っていること」にも関心を向けなければならない・・と思いました。
- 履修単位
学生を経験された方は、誰でも「単位」なるものを取得した(しなかった)という経験はあるかと思います。 私のように、はるか昔に学校に通った者であっても「単位」と聞くと、なんとも緊張をします・・もし単位を落としたら・・崖っぷち(苦)という苦い思い出が全く色褪せずによみがえってくるからです。 単位とは何かの資格や基準を数字で表したものかもしれませんが、本人には目に見えた形で単位数が提示されていなくとも、小学校のころから、ほとんどの人が、一定の基準を満たして次に進む、という経験をしていると思います。 つまり、「ステップアップ」というものが、その「満たして次へ」という私たちの幼少期からの経験からイメージづけられているかもしれません。 しかし、社会に出るために、学校を卒業する単位は必要としても、実際に社会に出たあとに、「〇〇単位が必要」というケースはめったにありません。 つまり、学校を卒業した時点で「単位」という基準は無くなり、社会では、数字でステップを表されることは少なくなると思うのです。 もちろん、社会人になってから、専門的な資格を取得する際に「〇〇技師として働いた経験〇〇年必要」といった条件がある場合も見られますが、それ以外は、ステップアップの条件として学生の取得するような単位に類似するものはあまり見られません。 単位に一喜一憂する必要がなくなるのは良い(?)ことかもしれませんが、逆に自分を測る基準が非常にあいまいになるのです。 その一歩手前に位置づいているユースターのような就労準備支援の段階でも「単位」なるものが無い世界を、利用される皆さんは経験することになります。言うまでもなく、ユースターでは「〇〇単位を取らないと就職できない」といった基準は全く無いからです。 これは功罪の両面があります。 いつ就労準備支援を卒業して就職するのか、という基準が無いという点があるのが単位がなくなって困る点としたら、自分の納得する段階で就職に挑める、という利点があります。 そこで必要となるのは、決断や勇気、自己判断の力、そして相談する力かもしれません。 単位とは無縁になる社会人としてスタートするときに、自分を測る基準、人からの評価、そして納得して行動すること、これらも社会人に必要な力になるのかもしれません。













