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執筆者の写真吉岡 俊史

退屈

最近、ユースターを利用するある方から、退屈という言葉が何回か言われることがありました。「何に退屈しているのか?」というと・・・実はわからないのです。


ユースターでの活動が退屈なの?

就職活動が退屈なの?

生活が退屈なの?

まさか、生きることが退屈なの?


上記のどれでもない(かもしれない)、という事ですが、どれかだったとしたら、それぞれ真剣に問題として捉えて解決しなければならないと思います。特に、生きることが退屈?となると、もっとじっくりとお話をうかがう必要があります。

しかし、どれもあるようでどれでもないような反応が多いのです。つまり、自分でも「何が退屈なのか?」わからないようなのです。


そもそも「退屈」とはどんなイメージをもって言っているのかなあ?、と考え始めました。

一般に「退屈」というと、同じことの繰り返しに飽きたり、やることがなかったり、予定が無かったり、というイメージを持ちます。しかし「退屈だ」という人の中には、「やらなければならないことがたくさんありすぎる、でも退屈」と言う人もいます。それは~~予定はたくさんあるが、好きなこと、やりがいのあることが少ない~~なのかもしれません。

つまり何かが退屈、ということより、何を目指していったら良いかがわからないので毎日がぼんやりと流れている、ということなのかもしれません。

人がいきいきと生活する時には、何らかの目的的な存在が必要です。さらに、目的はあれば良いというものでもなく、その目的が自分のものになっていなかったり、遠すぎたりすると、目的への意識が薄れ、何のためにこれをやっているのかわからない、退屈な時間だ、という事になるのではないでしょうか。

誰かに与えられた目的であったり、人の真似をして作った目的でも良くないようです。


退屈って奥深いものかもしれません。


公園でぼーっとする人
退屈は何もやることがない、という意味だけでなないようですー意味深いときがあります

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