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真似る②

意識せずとも取るべき行動・・・理屈はないがこの場面ではこのようにふるまう・・・

社会では、何とも理屈では説明し難い多くの事柄があります。絶対必要なものの他、特に社会で働く上で、できるにこしたことはない行動も多くあります。


先日就労移行支援事業所ユースターで行いました、社会生活の行動をテーマにしたプログラムでは「もし職場で〇〇なことが話題に出た際、どのような反応を返すのが良いのか?」を話し合いました。

答えを出すことを目標とせず、普段あまり考えたことがない話題を、複数の人と一緒に考えあってみる、ということを目標としました。

・・・必ずしも言葉で話し合う”ディスカッション”の形にはなっていなくとも、同じテーブルにつく人が、同じテーマや問題を一緒に考える場を作ることに価値を置きたかったのです。

それにより、ある人の心の中に生じたひらめきや心の変化、気づきや迷いを、同じ空間で参加している他の方々に次々に伝わってゆく「波動」を作れる気がしたからです。


その波動に刺激を受けて、他の人の心の動きに合わせて自分も真似てみる、それにより一時的にもそのテーマを深く考えることになります。そして、日常に戻ったときに「使ってみようか・・」と思い出していただけたら良いかなと思っていました。

考え方を真似る、そこで出た行動のとり方を真似る・・その経験が、その方の中に本当に蓄積されたものになるのだと思います。


ところで、知らなかったことに気づいたり、考えもしなかったことを誰かが言ったりすることで「なるほど」と少しだけ満足したり、心が豊かになることもあります。

誰も知らないであろうことに気づくと、自分が誇らしく感じることすらあります。


知って満足して、、を前のブログ「真似る①」で書かせていただきました。。それが「納得する」につながるものになれば良いかなと思います。つまり、誰かに納得させられた、ということではなく、自分で「気づいた」「共感した」ことが主体的な納得ではないのかと思うからです。

社会性を身に着けるプロセスでは、それぞれの方が、自分を尊重した形で主体的に納得して、真似てゆくという方法が良いと感じます。


真似ることで知識を増やせ、それで気分がすっきりしたり、物事を別の視点で見れるようにもなると思います。


気づいているイメージ
自分で「気づいた」「共感した」ことが主体的な納得かもしれません。その上で真似ることの価値はありです


 
 
 

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