さまざまな業種の「サービス」について書かせていただいています。今日のブログでこのテーマを完結します。
福祉のサービス・・・「個」と「組織(施設)」のあり方について、前のブログの通り、誰が提供しているサービスなのか、という点があいまいであると不安が残ります。たまたま良い支援者であれば、とても安心である一方で「いつまで維持されるのか」という不安が同時に押し寄せます。
そのためには、施設単位で同じ質と量のサービスを担保することこそ不安を払拭できます。
支援を受ける方(受益者)にとって、サービスの質の担保は重要な問題です。
福祉に限らず、サービスの内容や質、量が毎回変わったり、あいまいであるほど、受益者にとって不安なことはありません。
極端な例を挙げます・・・
あるバス会社に、乱暴な運転をする運転者が一定人数いたとします・・他に路線もないので仕方なくそのバス会社を利用したとします。「今日の運転者は丁寧だといいなあ・・・」と毎日通勤の度に乗客が心配になることは、生活の質が下がることにもなります。ですからバス運行会社は安全、安心をモットーに不断の努力をされていて、その努力の成果の上で私たちはバスを利用できているのではないかと思うのです。
サービスの維持は、その大変さや困難さを乗り越える「提供する側の見えない部分での不断の努力」があってのものだと思います。
更に具体的に申しますと、提供する「人」が流動的であったり、毎回変わるのは受益者にとっては苦痛にもなりえます。
特に福祉サービスの場合にこの苦痛が当てはまりやすいのではないでしょうか?
先の例のバスの運転者のように「今日は誰が支援をしてくれるのか?」を毎日毎回心配することは受益者にとっては大きな負担です。
誰でも同じ質と量のサービスがしっかりと確立されていればその心的・不安は無くなり、生活の質も上がるのです。
つまり、運転者の例と同様に、プロフェッショナルとして「提供する側(施設や法人、会社)の見えない部分での不断の努力」がなければならない事柄です。
当たり前のことですが、サービス提供者と受益者の間に「安心」が確実に存在しないと、本当のサービスの価値は出てこないのです。
どのように「安心」を提供したら良いか・・・と考えることはそれぞれの事業者に委ねられていることだと思います。なぜなら組織毎にその規模、歴史、方針、目的が異なるからです。
例えば、先のバスの例で言うと、過疎化が進んだ地域で、そのバスをつなぐことだけ維持されていれば、過疎化が避けられる、という事情があったとします・・そうであればサービスの質よりも”運行を絶えさせないことが”優先事項”となり、まずはバスを動かす、という判断になるのかもしれません。
福祉サービスも同様、事業者によって千差万別です。
福祉の場合「人」が変わるのは受益者の不安につながるかもしれない、と書かせていただきましたが、では「人」は変えないと良いサービスなのか??というとそれも正解ではないと思います。担当する「人」が変わらないことだけが良いわけでもありませんし「属人的」になる弊害もあります。どのように福祉サービスを維持するかは事業者の判断なのです。受益者は自分にあったものかを見極める必要があります。
日本人には昔から、商品(物)には対価を支払うが、サービスは無料であるべき、という考えが浸透しています。
しかし、それは昔の話であり、現代社会は人手不足と人に支払う費用(お給料など)が大きなポイントとなっています。
無料のサービスを莫大な費用をかけて提供するしくみから、一段あがってより良いサービスを適切な対価で得る時代に来ているのかもしれないと思います。
なぜなら良いサービスには「提供する側(施設や法人、会社)の見えない部分での不断の努力」が不可欠で、それにかかる投資(コスト)も考慮しなければならないからです。

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