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桜を見て「ホッとする」

つい最近まで大雪と格闘し、汗を流していたことが嘘のように最近ではぐっと気温も上がってきましたね。

体調の変化や花粉症なども気になる時期です💦


北海道では、あまり【お花見】の文化が薄いですが、それでも日本人として多くの人は桜🌸を見ることが一つの癒しと言いますか、風流となっているのではないでしょうか?


ふと、お花見の文化っていつからあるんだろう?と気になり調べてみました。

いろいろと諸説あるようですが・・・少し長くなります。

【奈良時代】
 最初は貴族が「梅」の花を観賞していました。※桜は神聖な木だったそうです。
農民は桜を神聖な木として、田畑を育てる始まりの季節である春の訪れを告げる花が咲くとして、厄を祓(はら)う宗教的意味とともに花が愛でられていたそうです。野や山へ出かけて花を愛でる「野遊び」や「山遊び」がおこなわれ、神と過ごし五穀豊穣を願ったのかもしれません。
【鎌倉時代~安土桃山時代】
 平安時代までは貴族の楽しみであった花見も、鎌倉時代に入ると徐々にあらゆる階層に広まっていくこととなります。武士や町人も桜を楽しむようになったそうです。
 安土桃山時代には、当時の名将たちも集まり、盛大な宴であったようです。
【江戸時代】
 江戸時代以降になると、花見は庶民の楽しみとしても、広く浸透するようになります。江戸時代の後期には「吉野桜」が誕生しました。この吉野桜は、現在の東京都豊島区にあった「染井村」で、植木職人の手によって作られたといわれており、奈良県にある吉野の山桜と区別するため、のちに「ソメイヨシノ」と呼ばれるようになったのが、現在のソメイヨシノの始まりとされています。
【明治以降】
 明治時代以降になると、日清戦争や日露戦争の影響により、武家屋敷や貴族が所有していた庭園は次々と取り壊され、植えられていた桜も燃料として燃やされることとなり、江戸時代に作られた多くの桜の品種は一時激減することとなりました。
この事態を憂いた植木職人が、残った桜を集め植え替え保存しました。1886年に荒川堤に桜並木が作られることとなりました。荒川の桜並木は、1910年頃には花見の新たな名所として、庶民の間に定着していきます。
こうした植木職人の尽力によって残された桜はその後全国各地へ広まり、各研究施設などで品種改良がおこなわれ、現在に至っているそうです。


変わりゆく時代の中で、変わらない日本人としての「桜を愛でる」ことや「自然と遊ぶ」こと、現代においても戦争や交通事故、コロナウィルス感染など嫌なニュースが多いですが、楽しむ(愉しむ)ことを忘れずにいたいものです。


 桜が咲いている短いこの時期を、大切にふとした時間に桜で「ほっとひと息」ついて、また日常を彩り、毎日を頑張りたいですね🌸

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