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執筆者の写真吉岡 俊史

家族にしかできない支援とは②

前のブログで、家族にしかできない支援を考える時には、家族ができないこと、しないで良いこと・・を知って割り切り、社会の場で第三者に託すこと・・・と書かせていただきました。


「託す(たくす)」といっても、放っておいて、誰かが本人の力を伸ばしてくれる、ということではなく、家族が他の人にバトンを渡す姿を本人に示すことだと思います。

そして、大事な点は「社会の場で」それを行う、ということです。リアルな現場で体験することに勝ることはないからです。


前のブログで挙げました例でいうと、今までできるとは思っていなかった掃除は、確かに掃除機の準備から溜まったごみの処分までの全工程はできないかもしれません。でも掃除機をかける、ということはできるわけです。そして何ができないかが明確にもなっているのです。わずかな「できない」部分があるだけで、全体ができないという評価になってしまわないようにするべきです。そこに着目しないと本人の伸びしろを「抑える」ことになってしまうのです。


次に、できないわずかな部分については、本人が習得するか、第三者が代行するかということになります。掃除が完結するために欠けていることが満たされるしくみや工程を、本人の周りに作ってゆくのです。


そのしくみとなるのは、社会の中で本人の身近にいる”第三者ー誰か”となります。そして、第三者とは書きましたが、場合によっては「本人自身」ということもあり得ます。つまり、自分でやれるようになるとか、誰かに自分でサポートを頼むことができる、ということです。


できなかったことがいつの間にかできていると家族や支援者が発見することがあります。。それは自分が誰かから教わったか、自分で習得したか、自分でサポートを頼んだからです。

つけ加えますと、第三者は意図的に本人をサポートしているつもりはなく、知らないうちに、本人を補う「第三者」になっている場合もあります。例えば職場で本人を指導するリーダーだったり、親切な同僚だったり・・。


つまりそういった「誰か」が本人の近くに集まり、サポートする第三者を作る流れができれば良いということです。そしてその第三者は決して複数人ではなくても良く、一人でも良いのです。「人の輪」を作るのが大事とは言われますが、そう簡単に複数の人たちが本人を囲むようになるものでもありません。本人を見守るたった一人の人が社会の中にいるだけで、本人の伸びる力を活かせるようになります。そしてその一人の人は本人の成長に合わせて別の人に移り変わることもあり得るのです。


「家族にしかできない支援」とは、そういった「第三者」「身近に現れる人」を本人が信頼できるような心を、本人の中に育むことかと思います。そして本人が他の人を信頼して、困っていることを安心して伝えられるようになることで、それをどのようにしたら良いか、日々の中で家族が見せてゆくことです。

家族の方が周りの人を信頼して、サポートを託す姿を本人に見せることで、本人も周りの人を信頼できるようになるかもしれないからです。


家族が原点であり、拠り所であるのは揺るがないことですが、そこから世界を発展させるきっかけを作れるのが家族のできる支援かと思います。


手と手をつなぐイメージ
本人の生きる世界を社会に発展させるため、「信頼」を持つことを示すことは家族しかできないことです

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