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執筆者の写真吉岡 俊史

セキュリティー

明日には何が起こるかわからない現代。

自然災害だけでなく、戦争までもがありえないものではなくなっています。


日本を拠点として生活している私たちは、リスクに対する意識が薄い、何事もない状態に慣れてしまっている・・と言われています。


何事もない状態、仮にそれが「平和」だとすると、平和のレベルもさまざまにあると思います。戦争や紛争の無い状態が平和という考え方から、個人個人のレベルで、紛失・・盗難・・犯罪などに会わず、問題に直面していない状態が「平和」と考えることもできます。


平和でない状態、つまりある種の問題がある状態も、その問題の大小によって、受ける影響もさまざまに異なります。命に係わる重大なことから、ちょっとしたものを紛失したり盗難にあったり、でも再び買いなおすなどの対処はできる状況まで・・・・。


身近な問題に対抗するものの一つとして「セキュリティーを整えておく」という方法があります。セキュリティーとは保安とか防犯とも言われますが、主に窃盗への対処などが思い浮かびます。おそらくそれも、防犯であれば自分でも未然に防止しやすいから・・・というレベルだから考えやすいのかもしれません。

しかし、一方で、リスクにはもっともっと大きなものがたくさんあるはずです。それら大きなリスクは、自分ひとりでは抱えきれず、対処できないほどのもので、自分で整えるセキュリティーだけでは手に負えないので、話題にすることも避けてきたのかもしれません・・・誰かが大規模大胆なやり方で守ってくれる、と思いたいのかもしれません。


しかし、少なくとも、手に負えるはずの小さなリスクについては、セキュリティーを整えるべきですね。

不安の少ない(?)平和な日常の中で、想像しないで終わるのではなく、備える意識を改めて持たなければならないと思います。


先日、ある事業者の会合で、セキュリティーに関する話題が出ました。

その話題を出した人に、周囲の人が「何かあったのですか?」と聞いていました。それを聞いた私は「何かがないとセキュリティーを考えない人が多いのかなあ」と感じてしまいました。

リスクやセキュリティーは広く一般的なものだと言われながらも、まだ、実際に被害や危険を被って考え始めることが多いのです。

私を含めて、まだまだ自分には起こらないこと、ととらえてしまいがちですね。

有事、命を守るセキュリティーから、ちょっとしたアクシデントに対応できるための備えまで、備えることをもっと真剣に・・と考える昨今です。


傘をさしてくれる人と自分
危険にそなえるセキュリティー。自分ごととして考えなければ

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